学校法人 シュタイナー学園

活動報告

2020.04.29

教育

春の祝祭

学校法人シュタイナー学園 ニュースレター
VOL.79  2020.4.29

 「春の野に すみれ摘みにと 来し我ぞ 野をなつかしみ 一夜寝にける」 

山部赤人

これは万葉集の歌で、春の野にスミレを摘みに来た男が、あまりにも気分がいいので、そこで一夜を明かした、というものです。4月の朝、いつもは高等部の生徒たちでにぎやかな吉野校舎への通学路もひっそりとして、道端に咲くスミレの美しさに目が留まりました。

皆様もそれぞれのご家庭でいろいろな工夫をされて、子どもたちとの日々を過ごされていらっしゃると思います。ご家庭で過ごす春のひと時が、より豊かなものになるようにと、心から願っております。三寒四温を繰り返し、高等部の校庭に立つ桜の古木は満開の花を咲かせ、私たちの恐れによって冷えた心をほっと温めてくれました。

古来、日本では自然の景色の変化から、季節の移り変わりを把握する自然暦を使用していました。飛鳥時代に、月の満ち欠けによって日を決定する太陰暦と、1年を15日ごとに割り振った二十四節気が中国から伝えられました。これらは時代の流れとともに少しずつ形を変えながら、現在も私たちの生活に根付いています。

祝祭は、世界中の多くの民族の習慣や信仰に根差して行われてきました。そこには、人間の力の及ばぬ自然への畏怖と自然から得られる恵みへの感謝が込められていたはずです。

シュタイナー教育の場においても、子どもたちの中に自然への畏敬の念を育てるために、目に見えない自然の力によって変化する四季の移り変わりを、子どもたちが喜びと共に行いを通して体験できるように四季の祝祭を行っています。今日は、まず春の祝祭について、その意味を捉えて、子どもたちとの過ごし方を考えてみましょう。

昼と夜の長さがほぼ同じになる春分の日を経て、まるで冬の闇から光が勝利するように、春を迎えて日に日に光が増してきます。春の祝祭の根底に流れているテーマは「死と復活」です。古代エジプトでは、太陽神ラーが太陽の船に乗り、毎朝東から誕生して天空を航海し、夕方には西に没して夜の間は黄泉の国を通り、再び東の空に誕生すると人々は信じ、移り行く自然の姿に死と復活を見ていました。

初中等部のある名倉校舎から名倉峠を降りてくると、目の前に陣馬山に連なる山々が見えます。秋に広葉樹は葉を落とし、冬枯れの時を迎えると山並みは針葉樹で黒々と見えます。ところが春分を過ぎると、まるで枯れて死んでしまったように見えた広葉樹が萌えたち、ふわふわとした黄緑色に覆われます。この季節の移り変わりの中にも、死と復活を感じ取ることができます。植物が実を落として、その実の中の種から新しい芽生えがあるように、蝶がさなぎの中でその身を溶かして美しい蝶の姿に変容するように、すべての死の中には、新しい生への芽が隠されていることに、私たちは気づかされるのです。

子どもたちには、春の訪れを説明するのではなく、子どもたち自身がこの季節の移り変わりに「気づき」そして「自ら発見する」ことがとても大切です。私たち大人は、子どもたちが日々の生活の中で、変化する自然に目を向けることができるように、いざなうことができます。

きっかけは、ご家庭の中にある小さな季節のコーナーに飾られる花の香りや色、今の季節なら復活を象徴する卵の飾りや鳥の巣、卵を運んでくれるウサギたちなど。お庭やベランダに植えられたハーブや花など、自然の移り変わりを捉えたものが身近にあること、そして大人たちがその自然の贈り物に、穏やかな優しいまなざしと手をかけている姿は、子どもたちの中に「意味のある行為」として、自然との向き合い方の土壌を育ててくれます。

 外出を控えなければならず、家に閉じこもりがちなこの時でも、この美しい春の日に短いお散歩に出かけてみませんか。そして、子どもたちとのお散歩で、歩きながらこんな詩を口ずさんでみませんか。

すみれよ、すみれ

ふわふわした草の中、

秘密の場所にそーっと隠れてる

すみれよ、すみれ

朝になると、うさぎがやってきて

すみれよ、すみれ、こんにちは

香りをかいでいいました

なんて素敵な香りでしょう

ライター/教員 大嶋まり