2019.09.27
わたしのクラスは、一人ひとりが自分の意見をしっかり持っていて、ここぞという時の団結力があるクラスでした
卒業生コラム 第18期生 横山海夢さん(前編)
【横山海夢さん】
現在早稲田大学スポーツ科学部に在学している横山海夢さんは、シュタイナー学園第18期卒業生。横浜のシュタイナー学校を卒業後、高校1年生にあたる10年生から、藤野にあるシュタイナー学園に転入し、卒業までを過ごされました。現在、シュタイナー学園在学中も夢中で取り組んでいたスポーツに関わる学びを深めながら、来春からは海運業界の企業に就職が決まっています。そんな横山さんにシュタイナー教育を通して得たものについてお聞きしました。
シュタイナー教育との出会いのきっかけはなんだったのでしょうか?
逗子にあるシュタイナー幼稚園に通ったのが最初の出会いです。幼稚園を卒園すると、ドイツに行くことになり、3年生の9月に帰国するまでドイツのシュタイナー学校に通いました。シュトゥットガルトにある、世界で最初に創設されたシュタイナー学校でした。
どうしてドイツに行くことになったのですか?
父がシュタイナー学校の教員になるための勉強をドイツでしていたからです。大学卒業後は一般企業に勤めていたのですが、思うところがあったようで、仕事をやめ、シュタイナー教育の教員を志していました。最初は父ひとりでドイツに行ったのですが、1年生になる時に家族でドイツに渡りました。わたしは最初ドイツ語がまったくわからない状態だったので、大変だった記憶もあるのですが、幼かったぶん、吸収も早かったようです。1年生の中旬くらいからは言葉もだいぶわかるようになっていたと思います。言葉がわからなかった時も、先生のことが大好きで、第二外国語として学んでいたフランス語の歌を家でもずっと歌っていました。言葉がわかるようになってからは、先生や友だちとのコミュニケーションがより深まり、毎日楽しく学校に通いました。
3年生の9月に帰国され、横浜のシュタイナー学校に通うことになったそうですね。
父が無事シュタイナー教員の免許を取得し、横浜のシュタイナー学校に教師として勤めることになりました。わたしは同じ学校の1期生にあたる学年に入り、1学年下の子たちとの複合クラスで学びました。最初はドイツの学校を恋しく思う時もありましたが、クラスのみんなと時間を過ごすうちに、『ここが今ではわたしの学校だな』と感じるようになりました。
子ども時代はどんなことが好きでしたか?
体を動かすのが大好きで、外を走りまわっているような子でした。学校の近くに公園があって、そこで体育の授業もしていたのですが、放課後もその公園で鬼ごっこをしたりして遊んでいました。高学年になると習い事をはじめ、放課後は自分で決めたルーティーンをこなすのに毎日けっこう忙しかったですね(笑)。
どんな習いごとをされていたんですか?
バイオリンと水泳とラグビーを習っていました。水泳やラグビーを通してシュタイナー学校以外の環境を知ったことも、自分にとってよい経験になりました。学園の学びとはちがう部分に触れて『こういうことをやっているんだ』と知り、そんな中でも対等に接していられる自分でいたいという気持ちもわき、習いごと以外に、自分で算数や英語の勉強もするようになりました。
外部の学校へ進学することは考えなかったのですか?
学校以外の世界に触れながらも、学校はとても楽しかったのです。横浜のシュタイナー学校は中学までしかないので、高校はどこに行こうかと考えた時も、自分が受けてきたシュタイナー教育の学びをもう少し受けたいと思いました。関東には横浜、立川、藤野の3か所にシュタイナー学校があり、交流もありました。藤野のシュタイナー学園にも来たことがあり、雰囲気もわかっていました。藤野のシュタイナー学園に進学を決め、10年生で転入してきました。わたしのクラスは、一人ひとりが自分の意見をしっかり持っていて、ここぞという時の団結力があるクラスでした。高等部になると授業での学びもより深みのあるものになり、学ぶことも、より楽しくなりました。
幼少期よりシュタイナー教育を受け、スポーツを通し学校以外の世界に触れながら、一つひとつを自分の糧にされた横山さん。後編では高等部に入ってからの学び、進路を決めそこにむかって努力した末の大学生活について伺います。
ライター/中村暁野