2020.01.15
『自由』とは、世の中から与えられた答えではなく、自分で考えた自分なりの答えを見つけていく力なのではないか
保護者インタビュー 榎本英剛さん(前編)
【榎本英剛さん】
シュタイナー学園校舎からほど近い、名倉と呼ばれる地域にある見晴らしのよい、ひらけた一帯。その一角に、榎本英剛さんは妻の真穂さんと9年生になる娘さんと暮らしています。榎本さんは日本に初めてコーチングの手法を紹介し、またトランジション・タウンという市民運動を立ち上げた方としても知られています。人が「よく生きる」ためのサポートをしたい、という榎本さんがどのような経緯でシュタイナー教育と出会い、なぜお子さんをシュタイナー学園に通わせることにしたのか、その理由をお聞きしました。
シュタイナー教育と出会ったきっかけを教えてください。
シュタイナー教育について初めて知ったのは、アメリカに留学していた1990年代半ばに、同じ大学院に通っていた日本人の方を通してでした。当時はまだ結婚もしておらず、当然子どももいなかったのですが、そんな面白い教育があるんだと関心を持ったのがきっかけでした。
お仕事を辞め、留学されていたと聞きました。
29歳の時に、当時勤めていた会社を辞めて留学しました。私は子どもの頃から『仕事』というものに対して大きな疑問を抱いていたんです。たいていの人は大人になると多くの時間とエネルギーを仕事に割いているにもかかわらず、その仕事に心から満足し、誇りを感じている人はあまり多くありません。一度きりの人生なのにそんなのもったいないじゃないか、とずっと思っていて。そこで、留学先では『どうしたら人は活き活きと仕事ができるのか』ということを研究テーマに選び、その研究にもとづいて、在学中に『天職創造セミナー』というワークショップを開発しました。同時に、ワークショップに参加した人たちが実際に自分の天職を形にしていくプロセスをサポートするために、コーチングを学んだのです。
コーチングとはどのようなものなのでしょう?
コーチングの前提となる考え方に、『その人が必要とする答えは本人の中にある』というものがあります。その答えを本人が見つけ、自らが持つ可能性を最大限に発揮できるようサポートするのがコーチングです。その理念と手法は、人がその人らしく生きるための力に繋がると思い、日本人として初めてプロコーチの資格を取りました。帰国後は、定期的に『天職創造セミナー』を開催し、参加者の中で継続的なサポートを希望される方にコーチングを提供するという個人ビジネスを細々とやっていたのですが、1999年に出版した『部下を伸ばすコーチング』という本が自分の予想をはるかに超えて売れてしまったのをきっかけに、その翌年には『CTIジャパン』というコーチング・プログラムを提供する会社を設立しました。そして2002年に結婚し、2004年には娘が誕生しました。
娘さんの教育にはシュタイナー教育を選ばれたのですね。
留学中にシュタイナー教育のことを知った後、シュタイナー教育についての本を何冊か読み、いつか子どもができたらこの教育を受けさせたいと思っていました。シュタイナー教育では、その子が本来持っているものを引き出すことを教育の主眼としますが、それはコーチングにも重なる考え方です。人が生まれながらにして持っている、その人だけのギフト。それをいかに発揮させることができるのか、という考え方です。正しい答えをどれだけ早く、たくさん、正確に覚えるかを競わされるような、日本の公教育のあり方にはもともと疑問を持っていました。シュタイナー教育は『自由への教育』と言われますが、その『自由』とは、世の中から与えられた答えではなく、自分で考えた自分なりの答えを見つけていく力なのではないかと思うのです。
娘さんは最初にシュタイナー幼稚園に通われたのでしょうか?
娘が生まれた翌年の2005年から、家族でスコットランドにあるフィンドホーンというエコビレッジで2年半ほど暮らしました。娘はシードリングというシュタイナー教育の考え方にもとづいた保育園に通っていました。
フィンドホーンにはどうして行かれたのでしょうか?
コーチングの仕事を通して、たくさんの人が自らの可能性を見い出し、それを発揮していく姿を見ていて素晴らしいなと思うと一方で、私たちが暮らす今の社会は必ずしも人の可能性を引き出すような仕組みになっておらず、このままではいずれ壁にぶつかってしまうのではないか、という問題意識を持っていました。では、人の可能性を引き出す社会とはどのようなものなのだろうか?自然と共に暮らし、食べ物やエネルギーも自分たちで作るエコビレッジには、その問いに対するヒントがあるんじゃないかと直感的に思い、行ってみることにしたんです。
ご自身の持った問いの答えを探り続けることで、仕事や暮らし、そして教育に大きく関わっていった榎本さん。後編ではフィンドホーンでの暮らしを経て、藤野でトランジション・タウンの活動を立ち上げるまで、そしてシュタイナー学園との関わりについてお聞きします。
ライター/中村暁野