2021.01.27
もっと知りたいな、発見したいな、という気持ちが自然に湧いて、毎日の授業はただただ楽しみでした
卒業生コラム 第15期卒業生 本澤崇さん(前編)
【本澤崇さん】
シュタイナー学園第15期卒業生の本澤崇さんは、建築家を目指し、現在ニューヨークにあるコロンビア大学大学院で建築を学んでいます。学園でたくさんの「ものづくり」の学びに触れ、建築に興味を持ったという本澤さんに、シュタイナー学園での日々について振り返っていただきました。
シュタイナー教育に出会ったきっかけはなんだったのでしょうか?
もともと母親がドイツでシュタイナー教育について学び、シュタイナー教員の養成講座も受けていました。僕が生まれ、ちょうど幼稚園にあがるタイミングで、母は埼玉にある『春岡シュタイナー子ども園』というシュタイナー幼稚園の立ち上げに関わることになり、園の1期生として僕も通うようになりました。最初6人の園児が通う小さな園として始まり、住宅地にある一軒家が園舎でした。こじんまりとしているけれど、あたたかさを感じる園だった記憶があります。川沿いを歩いて大きな公園に行ったり、先生と木に登ったり。季節や自然を感じられる環境のなかでのびのび遊んでいました。
そして小学校は当時三鷹にあった東京シュタイナーシューレに進学されたのですね?
シュタイナー学校に通うため三鷹に引っ越し、通いはじめました。学校の校舎が幼稚園の雰囲気と似ていたり、幼稚園の1期生だった6人のうち3人がシューレに進学したこともあり、あまり大きな変化を感じないまま通っていた気がします。でも小学校になって始まった『学ぶ』ことはすごく楽しかったですね。シュタイナー学校での学びは字や数を学ぶのでも絵を描いたり、物語を聞くことを通して学びます。何かを『作る』ことも多くあり、学校での学びの何もかもが好きでした。当時クラスメイトは22人くらい。僕と同じように学校近くに住んでいる家庭が多かったので、放課後は玉川上水や公園で駆け回ったり自転車で走ったりして遊びました。
特に印象に残っている学びはありますか?
低学年の頃に取り組んだ『家づくり』や『米づくり』も印象に残っていますが、単純に日々の学びが面白かった。何かを教える時、先生は1個の点としてではなく、流れのなかで、その物事の裏側にある物語や成り立ちも含めて教えてくれるので、新しい発見の連続、という感じでした。もっと知りたいな、発見したいな、という気持ちが自然に湧いて、毎日の授業はただただ楽しみでした。
5年生の時に学園が藤野に移転したそうですね
藤野の学園に通うために八王子に引っ越しました。当時通っていた生徒たちは藤野に引っ越す家庭、うちのように八王子や高尾に引っ越し電車で通う家庭、とさまざまでした。5年間通った三鷹の小さな校舎や、クラスメイトみんなが近所に暮らしていた環境に愛着があったので、最初は寂しさも感じたのですが、電車通学する時間を通してそれまであまり交流のなかった他学年の人達とも親しくなったりと良いこともたくさんありました。高学年頃になった頃から水泳を習いだし、水泳を通してできた友達や、公立の学校から転校してきたクラスメイトを通して、シュタイナー学校の外の世界を知るようになりました。そうすると『なんでテレビ見ちゃいけないの?』とか『ゲームしちゃいけないの?』と先生や親に対する反感や反発が生まれたりもしました。学校生活のなかには学ぶ楽しさや心地よさがあって、いやなことが特にあるわけでもないのに、なんだか先生に反抗したい、反抗できる理由を探したい、という気持ちが生まれる年頃だったのかもしれません。
高学年になってからも学ぶことは楽しかったんですね
僕は何かを作っていくプロセスが大好きだったので、高学年になって工芸や鍛金の授業が始まったり、絵画を描いたりできることがとても嬉しかったです。8年生の終わりには集大成としてクラス全員で8年生劇を行うのですが、大役を担任の先生から渡任されたんです。歌を歌わなきゃいけなくて、正直最初はいやだったのですが、『劇』もみんなで力を合わせていく『ものづくり』で、最後はやっぱり『やって良かったな』と思い終わることができました。
シュタイナー学園の学びのなかで、ずっと好きだった『ものづくり』に取り組み続けた本澤さん。後編では、そのなかでも建築というテーマに出会い、深めていった過程についてもお聞きしたいと思います。
ライター/中村暁野