2023.03.29
課題ととことん向き合ったことで、 やっと一人の人としてトンネルを抜けられた
卒業生コラム 第13期生 鹿俣智裕さん(前編)
学校法人シュタイナー学園 ニュースレター
VOL.154 2023.3.29
北海道にあるシュタイナー学校「いずみの学校」で、現在1年生の担任として教壇に立つ鹿俣智裕さん。幼稚園から高校までシュタイナー教育を受け、北海道で野外教育について学んだ後、再びシュタイナー教育に携わっています。そんな鹿俣さんに子ども時代から現在に至るまでのお話を聞きました。
シュタイナー教育との最初の出会いについて教えてください。
3歳の時、三鷹の「なのはな園」というシュタイナー幼稚園に通いだしたのが出会いです。3歳上の兄が法人化される前のシュタイナー学園、「東京シュタイナーシューレ」の小学校に入学したので、幼稚園に通いだしました。シュタイナー教育は意識することもなく、自分のまわりにありました。
その後シューレに自分も入学したのですが、実は小さな頃のことをあまり覚えていないんです。ただ、担任の先生のおはなしがとてもおもしろくていつも引き込まれたことを覚えています。クラスのみんなが一言一言に耳を澄ませ聞き入っていた、その空気感が残っていますね。木に登ったり外遊びが大好きで、兄がいたのもありクラスを引っ張るような活発なタイプの子どもだったと思います。
印象に残っている学びはありますか?
3年生で行った家づくりですね。深田さんという職人さんに教えてもらいながら束石を置き、稲藁と土を混ぜて土壁をつくり…と日本家屋を作りました。家屋の上に登って屋根を作っていた時、担任の先生に「智裕、気をつけて」と言われたのに夢中になりすぎて落ちてしまったことがあったんです。柿の木に受けとめられて無事だったのですが、気絶してしまっていて気づいたら担任の先生が涙していて。「先生の言うことはちゃんと聞かなきゃ」と思った出来事でした。
中学1年生にあたる7年生の時に、シュタイナー学園が学校法人化され藤野に移転しました。どんな思いがありましたか?
もちろん戸惑いもありましたが、自然の中にいることが好きだったので環境的な変化を気持ちよく感じていたところもありました。7年生は転入生が来たり担任の先生が変わったりほかの変化もあり、クラスとして大変な1年でもありました。ちょうど思春期の時期にも重なり、反発や反抗も生まれる年頃でしたが、自分は先生方や親を信頼していて不満は感じていませんでした。
中学生になって学びはより深いものになり授業も面白かった。ですが7年生になった頃から「なんで生きているんだろう?」という答えのない問いを抱えてドヨーンとする時期がはじまりました。思春期のエネルギーが外に向かってではなく、内側に向かっていくタイプだったのかもしれません。そのドンヨリ感はけっこう長く続きました。
内側に悩みを抱えつつ、高校もシュタイナー学園に進学されたのですね。
この学びを12年の最後まで体験したい、という気持ちがありました。ドンヨリしつつも学びは相変わらず楽しかったですし、ボルダリングを始めたり自分の世界も広がっていきました。自然や植物に興味があったので9年生の実習である農業実習もとても面白かった。ですが、トンネルを抜けたのは12年生の時だった気がします。
12年生の1年間で行う3大プロジェクトを通して、自分の中に溜まっていた力を出せたこと、形になることを成し遂げられたという自信を持てた。課題ととことん向き合ったことで、やっとひとりの人としてトンネルを抜けられた気がしました。特に印象的だったのは卒業オイリュトミーでベートーベンの「悲愴」のソロをしたことです。思考や言葉ではない身体表現を通してひとつのものを表現しきれたことは、他には代え難い充実感と達成感がありました。
最終学年の課題に向き合うことで、自分自身と向き合い越えていくことができたという鹿俣さん。後編ではシュタイナー学園卒業後のお話を伺います。
ライター/保護者 中村暁野