学校法人 シュタイナー学園

活動報告

2023.08.02

卒業生

やりたいと思ったことは実現できるんだ

卒業生コラム 第20期生 石橋初季さん(前編)

学校法人シュタイナー学園 ニュースレター
VOL.163 2023.8.2

第20期卒業生の石橋初季さんは、この春から愛媛の病院に助産師として勤務されています。「助産師としてお産に携わりたい」という夢への第一歩を踏み出した初季さんにシュタイナー学園で過ごした子ども時代から現在までのお話をお聞きしました。

後編はこちら


シュタイナー教育との出会いを教えてください。
 
両親がシュタイナー教育に共感し、シュタイナー教育を取り入れた幼稚園に通っていました。小学校入学のタイミングで東京から藤野に越してきて、シュタイナー学園に通いはじめたのが本格的な出会いです。わたしは新しい環境になれるのに時間がかかり1学期の間、校門で母と離れられず泣いているような子でした。小さな頃の自分を思い出すと、窓の外をぽわーんと眺めているような、まだまだ夢の中にいるような子どもだったと思います。
 
印象に残っている学びはありますか?
 
ひとつのことを集中して学ぶエポック授業の「植物学」や「動物学」がとても面白く、教えてもらったことを今でも思い出すことがあります。田んぼや家作りという外で取り組む学びも好きでした。6年生の頃には英語が好きになり、英語をもっと学びたい、という気持ちも持っていました。
 
小学校高学年になって反抗や反発が生まれたことはありましたか?
 
6、7年生の頃はシュタイナー教育が大事にしていることになんで? という反発もありましたし、クラスも不安定な時期でした。わたし自身も振り返ると人を傷つけてしまったことがあったと思います。その時期はクラスのみんなで先生も交えてたくさん話しあいました。そんな時期を経て8年生を迎えたのですが、8年劇がわたしにとってひとつの大きなきっかけになりました。それまでのんびり流れに身を任せているタイプだったのが初めて「この役がやりたい」という役があり、その役をやることができて、自分の思いを舞台で達成できました。「やりたいと思ったことは実現できるんだ」という自信になりました。その経験が、10年生の時の交換留学に繋がったのではないかと思います。
 
高等部では交換留学も行かれたのですね。
 
英語が好きで高等部では留学をしたいと思っていました。アメリカのいろいろなシュタイナー学校に交換留学ができないか? と自分で連絡をとっていました。するとアメリカのニューハンプシャーのシュタイナー学校が受け入れてくれることになったのです。わたしが3ヶ月アメリカのシュタイナー学校に通った後、ホームステイ先の家の生徒が今度はわたしの家にホームステイしながら3ヶ月藤野のシュタイナー学園に通うという交換留学ができることになりました。
 
交換留学を経て何か変化はありましたか?
 
高等部になると自分のやりたいことが明確になり、やりたいことをやり尽くす、という気持ちでした。3ヶ月アメリカに行ってみて、自分の暮らしを客観的に見るきっかけをもらいました。日本のシュタイナー学校でもそれぞれがちがう意見や個を持っていますが、アメリカのシュタイナー学校ではよりはっきりとそれぞれ発言しているのを見て「自分は自分でいいんだ」と改めて思うこともできました。アメリカと日本で合計6ヶ月、思春期にひとりの子と一緒に過ごすのは大変なこともありましたが、まるで戦友のような存在として今でも連絡を取りあっています。
 
いつ頃から卒業後のことを考え出したのでしょうか?
 
実は中学生の時から助産師になりたいという夢を持っていました。母が弟や妹を自宅出産していたり、近所でも赤ちゃんが何人も産まれたり、出産を身近に感じられる環境だったこともあり、出産ってすごいな、出産に関わる仕事がしたいな、と思っていたんです。卒業したらすぐ助産師になるための勉強がしたい、と留学後は大学入試に向けた勉強をはじめました。


高校生の時から自分の意思を持って、道を切り拓いていた初季さん。後編では12年生で取り組んだ壮大な卒業プロジェクトの話や卒業後、助産師になるために歩み続けるお話を伺います。

ライター/保護者 中村暁野