学校法人 シュタイナー学園

活動報告

2024.07.10

教育

健やかな声

学校法人シュタイナー学園 ニュースレター
VOL.187 2024.7.10

クラスの子どもたちが1年生のとき、好きな手遊びに「なっぱのつけもの」がありました。手のひらを菜っ葉に見立てて、右と左の手のひらを交互に重ね、上へ上へと進ませながら10枚まで唱えます。そして、一番上から「ぎゅーう」と下へ押していきます。これを「なっぱのつけものなっぱっぱっぱ、1枚、2枚…10枚、重ねて塩パラパラ重しをのっけてぎゅーう」と唱えながらやります。シンプルな手遊びですが、落ち着かないときもこれが始まると、嬉しそうに全身で唱えていました。

子どもたちには、このような様々な言葉の響きを全身で味わえるように、動きとともに声に出してきました。日本語には、「ぎゅーう」のような様子や音、肌触りまでが、言葉の響きに直に現れているようなオノマトペ(※)がたくさんあります。まだ、やわらかい耳をもつ子どもたちは、言葉の響きを体まるごとで受け取り、リズムや言葉のもつ雰囲気をそのまま真似て見せてくれます。そこには、ただのおふざけではない、本当のものに触れながら学んでいく楽しさがあります。

子どもたちは、周りの人たちの生の声を聞きながら育ち、繰り返し声に出しては、周りの人たちと言葉のやり取りをしてきました。そして、全身で言葉を話します。また、子どもたちがごっこ遊びをしながら、無心で役になりきっているときは、大らかな呼吸と伸びやかな声で遊んでいます。

甥っ子が4才くらいのときは、実家の玄関を開けるなり、「ゆきえはいるかあ」と侍のように立ち、「御用だあ」といった短短長のリズム(上昇調)の口調で私を呼んで、よく遊びに付き合わされました。跳んだり跳ねたりしながら、生き生きとした声で心から楽しそうに遊んでいるのが、うらやましいほどでした。

クラスの子どもたちが2年生のときは、何人かの男の子たちから「昼休みに劇をするから見に来て」と、お誘いがありました。砂場が舞台で、横たわっている桜の木が客席です。何やらぶっつけ本番だったようで、観客の目の前で、切る役と切られる役を決め、ようやく劇が始まりました。切るときの「やあ」以外の台詞はなく、切り合いが続いた後に、お地蔵様にみんなでおがみにいく不思議な展開で、演者たちは、みんなで手をつないで一斉におじぎをして終わりました。

こんなに劇をやりたかったのかと、わたしは3年生で取り組む「おろち退治」の劇を楽しみにしていました。でも、いざ本番が近づくと、生き生きとした即興劇をしていた子たちは、急に弱気になってしまい、役を音楽担当にしてほしいと言い出す子もいて、内心大慌てでした。幸い、勇気ある子たちと交代してもらい、プレッシャーから放たれた子どもたちは、嬉しそうに体を揺らしながら太鼓をたたいていました。こうして劇は終わりましたが、改めて2年生までの劇遊びから、3年生の劇との間には、想像以上に大きな隔たりがあることに気づかされました。あれほど生き生きと動いていた子どもたちが、いざお客さんを前にすると、急に見られていることを意識して、固くなり縮こまってしまい、申し訳なさそうに声を出します。

4年生になり、今、外の世界に目を向け始めている子どもたちと、北欧神話劇の練習をしています。2年生のときに砂場で夢中で演じていた伸びやかさをそのままに、大らかな呼吸と健やかな声で、楽しみながらみんなと劇を作っていけたらと思います。

※オノマトペ:物の音や声をあらわす擬音語(ザーザー、ワンワン等)と、様子や状態を表す擬態語(ワクワク、キラキラ等)の総称。

ライター/教員 髙𣘺幸枝