2021.01.20
シュタイナー学校初中等部(1-8年)の理科の授業 第2回 低学年の理科 〜「縁」を生きる(2)お話の力〜
学校法人シュタイナー学園 ニュースレター
VOL.98 2021.1.20
第1回はこちらから読むことができます
今回は、シュタイナー教育における理科の土台となる学びが、どのように低学年で展開されているかを見ていきましょう。
『ネイチャーストーリー:生きものがいきいきと語りあう話』
1年生、2年生は先生と一緒によく散歩に行きます。藤野の地は歩くだけで自然がいっぱいです。教室に帰ると、教師はそこで出会った動物や植物、鉱物、山や川、海、野原を題材にしたお話を即興で作って話します。その中では、自然界の存在同士が会話をしますが、その内容は道徳的な内容を含んでいます。クラスの中で問題が起きたとき、低学年の担任は直接的な注意、いわゆるお説教をしないように努力しています。そこで登場するのが、この自然の存在たちです。
こんなケースを見てみましょう。
1年生の男の子が、折り紙で何かを作っていました。出来上がったものを、クラスの子に「すごいのできたんだ」、と言って見せていました。どこからかそれを見ていた別の男の子が、その様子を見て近づいてきました。そしてその折り紙をとりあげて、「こんなのだれでも作れるやーい」と奪い取って教室の隅へぽいっと投げてしまいました。折り紙を作っていた男の子は泣いてしまいました。周りの子はわいわいと騒ぎ立てています。
先生は、何が起こったのか状況を聞き取り、把握します。先生は、折り紙を取り上げてしまった子の表情を見たり発言を聴いたりします。先生は、その子が本当はみんなと一緒に折り紙で何かを作りたかったということや、それを見せて欲しかったのだということに気付きます。
でも、それをみんなに言ってしまうことがいい結果を生むとは限りません。先生はみんなを集めてまるくなって座らせ、お話をはじめます。
「ある秋の日、川の近くのススキの林の真ん中で一匹のちいさなネズミが、長い尾っぽを細長い葉っぱに巻き付けて、枯れた葉っぱをせっせと上まで運んでいました……」
その先生は、前の日曜日、河原を歩いていてカヤネズミの巣を見つけていたのです。カヤネズミの暮らしと、教室の雰囲気を照らし合わせながらその場で話を作っていきます。カヤネズミが一生懸命に細長い葉っぱを使って、ボールのような巣を組み立てるところや、楽しく穀物を食べているところ、巣の中にみんなで集まって温かく仲良く暮らしているところ、そこに少しさみしい思いを持つカヤネズミを登場させて、小さな争いが起きてしまう……というような話を展開させていきます。
この話を聞き終わって、家に帰り、そして一晩寝て、学校に朝戻ってきた時には、子どもたちの関係は少し良くなっています。「自然」を題材にしたお話の中で、間接的に「わたし・わたしたち」と出会っているからだと、教員たちは考えるのです。
2年生には、イソップ物語などの「動物寓話」をアレンジして話します。イソップ物語に登場する動物たちは、人間たちの「愚かな面」を見事に表現しています。お話を通して、子どもたちは自分の愚かな面を、すこしずつ「距離」をとって見つめるようになります。
1年生が聴くグリム童話をはじめとした世界各地の昔話、2年生が聴く動物寓話や聖人伝、3年生が聴く「世界のはじまりの話(古事記や旧約聖書)」の中には、「自然への愛・畏敬の念」、「自然の中の相互依存関係」、「性の在り方」が、見事に表現されています。こういう話を聞いて育ってきたクラスの子どもたちが、4年生以降、本格的に自然のことを「理科」として学び始めると、授業は見事に「温かい何か」に包まれて展開されていきます。
図書館などに行くと、図鑑などで自然のことを知ることができます。図鑑は子どもたちの「知的な好奇心」を刺激し、世界を広げてくれます。しかし、それがあまりに多すぎると、4年生以降の理科の時間は、自然を「知っている/知らない」かだけで見てしまう、知的な話題が子どもから多く出てくるようになります。自然が単なる「情報」になってしまい、授業が「冷えたもの」になる危険が生じます。自然を「点」で見る観点が強くなり、全体を見る視点が少なくなってしまう危険もありますので、学園では、小さい頃に図鑑や映像などの資料を見せないようお願いをしています。
山の中を歩いたり、散歩して木の実を拾ったり、動物が走るのを見たりしながら、自然を体験すること、その自然が子どもたちと同じように、お互いに話しあっていることを先生の語りから感じることを通して、子どもたちは、「自然とのつながり=縁」を少しずつ作っていきます。これが「温かい理科の授業」の土台となるのです。
次回は、中学年(3、4、5年生)を中心にシュタイナー学校の理科の時間を見ていくことにしましょう。
ライター/教員 小柳平太